GT LIVE USA-JGTC 2004 All-Star 5/5ページ

予選・決勝(ショートコース):12月19日(日)

今日は朝から緊急監督ミーティングがあった。議題は昨日の200マイルレースの結果に異議有りという事である。最初のSCを利用してピットインを行ったのが規定の"15周超え"のチームとそうでないチームがあり、それによりペナルティを取られたチームがあった。どういう事かと言うと、このサーキットの場合、長いピットレーンの真ん中で周回をカウントする事になっていたが、これが全チーム公平に伝わっていなかったのである。当然同一周回でピットインしても、1コーナー側のチームと、最終コーナー側のチームで、ピットインをした周回が1周異なるのである。(日本では殆どピットロードエンドの為、全チーム公平。)

また特設コースの為、各所にパイロンで作られたコーナー、シケインがあるが、それらをショートカットしてしまった方が早く、またそれらの行為に対しペナルティが取られなかったり、その他危険なドライビングでペナルティを取られた選手、取られなかった選手があり、あまりに不公平だ!等など。

一部のチームでは"ボイコット"状態にまでなり紛糾した。今となって中止してはせっかく初開催のGTレースを見にきたここアメリカの観客に対し悪印象は免れない。かといって昨日のレース結果で今日のスプリントレースのグリッドを決められては、この狭い特設スプリントコースでは殆どこれで順位が決まりかねない。

メーカー系チームとしても、ここアメリカでの悪印象は免れない。結局妥協案として、昨日のレース結果は無関係とし、本日2回予定されていた24分づつのスプリントレースの1回目を予選とし、(それも各10分づつ500・300と専有時間を分けて・・)それで25周(1周約60秒弱の為、24分と大差ない)のレース1回で開催された。ドライバーは予選・決勝同じでも別々でも、どちらでも自由。しかしこのミーティングでやる気を無くしたチームがあった事も事実であろう・・。

photo毎日がカルフォルニアブルーの青空。日曜日は遠くの駐車場となり、徒歩でも汗ばむほど。

photoパドック全体がイベント会場。色々な車が展示される。これはS2000ターボ。

photoこれは「サリーンS7」7リッターV8!だったかな?

photoなんだかわからない?がちゃんと2名乗れる。

photo日本ではあまり見かけない「エレメント(左)」もここカルフォルニアではちょくちょく見かける。

photoこの手のカラーリングは個人的に大好き。

photoこのド派手な車には・・・

photoこのホイールとタイヤ!

photoラジコンも盛ん。

photoそんな彼らのイージーUPテントの奇抜な使い方。日よけ効果は抜群。

それらの真意はともかく、予選は出走したが、決勝では大きく台数を減らし、この"消化レース"の様相を呈したスプリントレース、我々は予選決勝とも高橋選手とした。

と言うのも、実はこのNSXは今シーズン限りで"引退"をするのである。これについては後ほど・・・。

とにかくこのスプリントレースが最後のレースとなるのであり、オーナーが最後の花道を飾ろうと言う意味もある。しかし予選はトップと2秒差の59″54で10台中9位。決勝も1回のスピンを交え7位に終わった。3日前の"怪我"を広げることなく日本に持ち帰る事ができた事が最高の花道だったかもしれない。

photoNSX最後のレース。今までガラスの割れ、傷防止のフィルムを張っていたが、今回は少しでも視界を良くする為に剥がす。

photoピットまでは遠い。がパドックに観客が多く、今日は自走は禁止。

photo再びこちらで・・。16日に比べにぎやかになってきている。

photoこちらが3日前。

photoこれはフリー走行。今日、日曜日は色んなイベントが行われ、バンク(勿論フルコース)を走るのは別イベント。

photo決勝前には27℃にまで・・・。

photoクルーの人数分用意。

photo"訳有り"キャンギャル。今日はクリスマスヴァージョン。

photo全スタッフで記念写真。

photo後ろに1台。抜き所も無いショートコース・・。

photo他の最新NSXに挟まれた、"オールド"NSX。

photoこれが最後のレース。

photoチェッカーを受けてコース上にマシンを止める。

photoガレージに戻った頃には日も傾きかけていた。

All-Star Sprint GT300クラス 予選 9位:決勝 7位

こうして3シーズンをフルに戦ったNSXは、この30戦目でレースを終えた。GT26レース、鈴鹿耐久1000km4レース、走行距離は2万キロを越えているだろう。勿論"500時代"もあったのでもっと走っている。元々は98年モデルと言われ、遅くとも99年には一度現役を退いていたマシンだが、こうした500マシンを300クラスにコンバートすれば早いマシンができると、オーナー高橋の強い熱意で、ホンダからマシンを借り出す事に成功。300改造に着手するが、そこはファクトリーマシン。各所に"企業秘密"がある為、エンジンは当然だが、パーツもデーターも欠落(外されている)し、かと言って(お金を出しても)入手できない物もある。300への改造は半年以上を要し、01年鈴鹿1000kmが再デビューとなった。関係者からは、"走る"が精一杯だろうと噂されたが、何とか完走を果たし周囲を驚かせた。

photo00年8月ポッカ1000km。ダンロップコーナー。クラブマンGTNSX大破。ここから始まったGT300参戦計画。

しかしGT戦デビューの9月モテギでは予選基準タイムはクリアしたが最後尾。GT厳しさを痛感。しかし翌02年第2戦、富士では0.14秒差でセカンドポジションを獲得。(この時のポールはデビューした「VEMAC」)決勝こそトラブルで後退したが、このシーズンは常に高順位争いを展開。7戦MINEではついにポールポジションをGet(これまたトラブルでリタイヤ)するなど22ポイント、チームランキング12位と活躍した。

翌03年も更に改良を加え、同じ22ポイント、チームランキング11位と頑張った。500を300にすると言うコンセプトが間違っていなかった様だ。

photo02年第2戦フジではセカンドポジションからスタート。ポールは「VEMAC」。

photo03年フロントマスクと、カラーリングが一新。

しかしこのシーズンから変わったレギュレーションに合わせて開発された新型マシン(セリカ・Z・フェラーリ・ガライヤ等)が、後半になって頭角を現し、このNSXもそろそろか・・・?と思われたが新型、高年式マシンも入手できずもう1シーズン、04年も"鞭打つ"事となった。そこへ300クラスに1台のNSXが登場。16号車である。縦置きエンジンのバリバリ03年モデルである。我々のNSXが低迷する中、快進撃を続け、優勝こそ最終戦だけだったが、チャンピオンを獲得。皮肉にもこうした形でも500を300にすれば早い、を証明する事となった。

04年秋頃から05年のマシンを検討し始め、できればホンダマシンでやりたかったが、現在NSX以外にGTマシンは無い。が、高年式車も入手はできないので断念。

そこで現在最も安価で早い「VEMAC」を選択する事となった。エンジンも同じNSXのC32Bを使用でき、予算も節約できると言うプライベーターならではの理由もある。タイヤもヨコハマに戻る事となった。

またこのマシン変更に伴い、NSXのマシン改造からメンテナンスを4年間付き合ってくれた「SKデザイン」のメカニック達とも、寂しいがお別れである。これからは「VEMAC」の製作会社「東京R&D」にメンテナンスを託す事になる。

こうしてGT参戦5年目にして、最大の転換を迎える2005年マシンはホンダで無くなってしまいますが、今年も応援お願いいたします。

photo05年参戦の「VEMAC ベルノ東海号」ではなく「プリヴェチューリッヒ・アップルRD320R」。ドライバーは高橋、渡辺両選手と変わらず4年目に突入。

「VEMAC」 http://www.vemaccars.com/
「R&D SPORT」 http://www.rdsport.net/

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