SUPER GT 2006SERIES 第4戦 -セパンサーキット-
GTレースレポート
2006年06月26日
海外での開催が幾度か計画されるが、毎年頓挫するGTシリーズ戦。そんな中このマレーシア戦だけはチャンと開催される。… |
サーキット マレーシア・セパンサーキット
マシン名 :I.M JIHAN CO.LTD・APPLE・Shiden
ドライバー 高橋 一穂・加藤 寛規
6月22日(木)設営
晴れ 午後にわか雨
海外での開催が幾度か計画されるが、毎年頓挫するGTシリーズ戦。そんな中このマレーシア戦だけはチャンと開催される。(2003年はSARS(サーズ・・懐かしい)により中止されたが・・)2000年に日本のレースとして、初めて海外開催され、2002年からはシリーズ戦に組み込まれ、我々はこの年から参戦している。
初めの頃は全く勝手の違うサーキットに戸惑ったものの、2回3回と参戦する内に、完全に国内のサーキット同様、“勝手知ったる”サーキットとなった。(勿論サーキットが変わった訳ではない。)慣れてしまえば、広いピット、クーラーガンガンのコモンルームや個室、緑の多いパドック、近代的なきれいな施設等、日本には無い異国のサーキットも充分楽しめ、楽しみな1戦でもある。
しかし慣れたとはいえ、リスト作成、梱包等マシン、機材を海外に送り出すのは大変な手間である。例年は5月末の第3戦菅生が終了すると、1週間の猶予も無く港に運び込まなくてはならかったが、今年は5月初旬の富士第3戦から1ヶ月弱のインターバルがあり、それなりの改良を加えた“セパン仕様”で臨む事ができた。
こんなに時間的余裕ができたのは、冒頭の海外戦として予定されていた中国戦が“今年も”見合わせとなった為である。
6月23日(金)フリー走行
晴れ 午後にわか雨 路面 午前ドライ:午後ウェット
このSUPER GTは“モラルハザード”と言う制度というか、点数反則金制度がある。スピン、コースアウトの“加害者”となったり、イエローフラッグ無視やダブルチェッカー等危険行為をレースウィークや合同テストで行うと運転免許証と同じく点数が加算され、基準に達するとフリー走行が1回走れなくなるなどのペナルティが課せられるのである。(あまりに酷いとレースに出られなくなる事もある)
“その免停”対象となった高橋選手。レースとレースのインターバルにサーキット走行はおろか、マニュアルミッション車にすら乗る事の無い、高橋選手にとって、レース感を取り戻す貴重なレースウィークのフリー走行。これを1回走れないのはかなりの痛手。でもしようがない。1回目の走行は、皮肉な事に、ここセパンを嫌になるほど走っている加藤選手に精力的にセッティングを決めてもらう。
ここセパンは“灼熱のセパン”と枕詞がつくほど暑いのだが、今年はチョッと違う。よっぽど日本、名古屋の方が暑く感じる位だ。
天気も午前は晴れていても午後夕方頃には雨が降るのがスタンダードらしい。と言っても現地の人(運転手付レンタカーのガイド)に聞くと、「何でそんなに天気が気になるのか?毎日同じだ」との事。そもそも天気を気にする概念が殆どないらしい。天気予報はあるが・・・
そんな一回目のフリー走行、2′09″867がベスト。昨年の予選やスーパーラップ(以下SL)では7秒台、8秒台が出ていたので、大して速くないと思っていただが、なんと結局これがクラストップ!
2位のセパンマイスターと言われる7号ですら10秒台。
幸先の良いドライブとなった。
2回目の走行は、現地時間で夕方午後4時15分からである。もっとも暑い時間帯を避けても30度近くはある。
“免停”の禁が解けて走りたくてうずうずしいた高橋選手。それに水を差す(まさしく)かのように雨が降ってきた。決勝で雨の可能性は有りなので、これはこれで良い練習になるのだが、当の本人はナーバスなウェット路面より、思いっきり踏めるドライの方が、ストレス発散にはなるのだが・・・。
6月24日(土)予選
晴れ時々雨 路面 午前午後共ドライ
このレースではマシン名が「I.M JIHAN CO.LTD・APPLE・Shiden」となっている。この「I.M JIHAN CO.LTD」中古車の輸出入を行っているアップルインターナショナルのグループ会社である。
今日は、そこの社長がやってきて、「昨日のフリー走行でアイエム自販のマシンがGT(のフリー走行)でトップタイムだぞ!」と周りからドンドン連絡が入ったらしい。そんな事全く知らなかった社長は早速激励(様子を見)に来てくれたのだ。折角応援に来てくれたのだから、フリー走行の流れを今日も引き込み、2戦連続ポールポジションと行きたいものだ。ところがそんな勢いを“消して”しまう事態が発生。なんと朝の車検で車載消火器が誤作動!消化剤がエンジンを覆ってしまった。原因が何でであるかはともかく、補充をしなくては走行ができない。我々にスペアはない。メカニックが東奔西走してスペアを持っているチームから借りてきた。マシン、特にエンジン付近の清掃、消火器タンクの付け替え等、余分な仕事が増えてしまった。この“借り物”を装着している間に、オフィシャルを通じ、「今回の事態は時間的に修復は難しいだろうから、チームの自己責任で特別に予選出走を許可するが、2回目予選までに消火器を装備していない場合は出走できない」と言う事が告げられた。この借り物をそのまま借りていれば今回のレースは問題無いだろうと、メカは作業を進め、11時からの予選時間に5分ほど食い込みながらも、加藤選手をコースに送り出す。
加藤選手、2周目に2‘09.965と2番手タイム。これならSLは確実。ならばドライ未経験の高橋に早く交代し、基準タイムをクリアしなくては・・と言っても今の高橋選手、基準タイムをどうこう心配は全く無い。心配は天気。いつ雨が来てもおかしくない怪しい状態。降り始めては誰もが基準クリアは厳しくなる。その状況を察し、高橋選手も2周目にクリア。直後に300占有は終了。多少パラついたが影響は無いようだ。500の走行中にウイング等各部のセットを微調整。その後の混走は高橋選手が走る。・・・が、途中で「ぶつけられた~」と無線が入る。走りに影響無いのでそのまま走りたそうな高橋選手を制し、ピットインさせる。確かに左の後に接触傷がある。“後”からぶつけられたのだろうが「ぶつけれないドライブもテクニックです。」とエンジニアのシンちゃんに諭され「へい~」と神妙な高橋選手。
結局このタイムで2位。SL進出9番手出走である。ここマレーシアでのスポンサーの為にも、狙うはポールポジション。その為の秘策があった。
2回目予選は、ここセパンを嫌と言うほど走り込んでいる加藤選手に対し、とにかく走り込みの不足している高橋選手が走る。開始直前に雨が降り始めたのでレインタイヤでコースイン。直後にドライに変えたりであっと言う間に15分の走行も終え、いよいよSL開始。
11号車から始まり、8台が終えて全てが10~11秒台と昨年の7~8秒台を大きく下回る。とりあえずこれらを上回る事は可能だろうが、最後に控えた7号車がやはり強敵。
加藤選手のアタック開始。今回のSLのBGMは「コバルト・アワー」アルバムタイトルにもなった、ユーミンの古いナンバーだ。「夜のとかい~(都会)をさー飛びこえて~いっせんきゅーひゃくろくじゅ~ねんへ(1960年へ)・・」
前半の区間タイムで0.5秒弱もリード。こりゃ9秒を切るか!2′08″692!!圧倒的なタイム。
これには7号車、山野選手も及ばず、唯1台の10秒切りでダントツのポール。しかも2戦連続・・・。
秘策は・・今日は気温が下がる事、また決勝レースはレインタイヤで挑む事になるかもしれないと考え、マーキングタイヤ3セットを全てソフトにした事である。勿論明日の決勝が晴れ、しかもメチャクチャ暑くなったら、スタート1スティント目はかなり厳しいレースとなるだろう。
6月25日(日)決勝
晴れ 路面:ドライ
昨晩は「I.M JIHAN CO.LTD 」の社長にご馳走していただいた。このポールポジションは事の他うれしかった様子で来年は応援団を作って、スタンドの一角を埋めると大張り切りだ。 そんな気持ちを持ち続けていただけるか?どうか?は今日の結果次第。
いつもなら“朝一”のフリー走行は、ここセパンでは午前11時から・・・。この時点で既に30度超え。でも例年比べそれ程暑くは無い。
今回はサーキットサファリ(お客さんを乗せた観光バスがGTカーの走行するコースを周回する、人気イベント。)があるので、通常の30分走行に15分が加えられ45分に。
高橋選手の走行に重点をおき、ピットワーク練習も行ったがここで思わぬトラブルが・・・。ピット作業を終えたところでエンジンが始動しない!第2戦岡山と同様だ。モーターに少し衝撃を加えると回るのだが・・・。とりあえずそれでコーに戻し走行を続け、あとで修理の行う事に・・・。岡山と違い今回は新品スペアを用意はしているので、大丈夫であろう。今回も決勝レース直前と言う、間一髪の時にトラブルが出てくれた。
我々が初めてセパンに来たのは、シリーズ戦に加わった2002年では3時からのスタートで、正に灼熱時刻にスタートしていたが、翌々年から(翌2003年は中止)5時過ぎにスタートと遅くなった。これら少しでも涼しくなる時間帯と、撤収作業との兼ね合いからか?毎年変わっている。
今回の決勝レースは夕方午後4時から始まる。水曜日からの天候、また現地の方の“天気予報”では「午後から1回は雨が降るよ。」と言う事では、この決勝レースは雨の可能性も高く、マーキングタイヤを全てソフトにして予選、SLに掛け、それは“大当たり”でポールポジションを得たが、決勝で“使えない”このソフトタイヤをスタートで使わなくてはならないようだ。
スタートを努める高橋選手には、交代の20周弱まではタイヤをいたわって走ってもらおう。
2戦連続でポールポジションからスタートの高橋選手も、この位置の“緊張”には慣れたようだがスタートが上手くなった訳ではない。1コーナーまでに13号車影山選手に危なげなく“抜かれ”2位に・・・。その後は2周目には7号車に抜かれ3位へ。後方グリッドの面々からすると、順位が落ちるのはやむおえない。どこまで踏ん張り、加藤選手に繋ぐか?6位辺りで繋げば表彰台も届くはず。(無論単純に順位ではなく、タイム差が重要なのだが・・)ところが4周目混戦の中弾き出される様に大幅にラインを外し失速!一気に数台に抜かれポジションは10位へ・・・。
これまでの高橋選手はこのままズルズルと下がるか、ポジションキープが精一杯だったが、今年(というより私の見たところ昨年のポッカ1000km以降のレース)の高橋選手は違う。
予選の自己ベストに近い13秒前半で追い上げている。これは前を走っている集団と殆ど変わる事のないタイムである。(トップとは毎周1秒前後離されて行くが・・・)
もっともコンマ数秒差ではなかなか追い抜くことは難しいが・・・7周目9位へ。
その後も良いペースで周回を重ね、トップとの差の開き方もエンジニアの予想(言えない。)よりも少ない。ソフトタイヤをこの気温の中で上手くいたわって走っている。
18周目9位でピットイン。タイヤはもう少し硬めにスイッチ。順調にピット作業が進み、エアジャッキ降下!着地と同時にスターターON・・・んっ!1秒に満たない一瞬の間をおいてエンジン始動!ヒヤリとさせたが、後半の追い上げを加藤選手に託す。
コースに戻って17位。そして加藤選手の言う「一番おいしい」2周目、2′11″429をマーク。これは結果的にベストタイム2位。2ポイントGetである。 その後は各マシンのピットインが始まり、24周目12位、26周目一気に7位となった。ピットインによる順位変動も落ち着き“レース再開”である。ここからは易々とは上がれないと思っていたが、2位走行の13号車が29周目ピットイン。作業は順調に進んだがエンジンが始動しない!あちらはスターターではなく、暑い時期の“風物詩”とでもいうか、パーコレーション(燃料ライン内に熱で気泡ができてしまう現象。ピットストップで短時間エンジンを止めた時に起き易い。)のようだ。優勝候補の一角が崩れ6位へ。前にいるには55号車と、14号車。
前回富士で3位表彰台の14号車は13~15秒台と安定しない。55号車も13~14秒台。対し12~13秒台で追う加藤選手。32周までにこの2台をパスし4位に上がる。しかし前を行くのは7、27、19号車の3台。TOP7号車には30秒弱の差がある。タイム的には2号車がもっとも早いのだが、残り周回17~18周で追いつく事は無理だろう。
しかし手綱をゆるめる事なく、ハイペースで飛ばし、差を詰める。何が起こるか判らない。野球と同じで、たとえ2アウト2ストライクと追い込まれても、1塁にいるより、2塁、3塁にいる方が得点のチャンスは広がるのだ。決して4位で甘んじようと言う走りではない。 しかし最後まで3位の背中を見る事も無く13秒差4位でチェッカー。トップとは17秒差であった。
予選1位 : 決勝 4位
獲得ポイント
チームポイント8点
累計21点 ランキング 7位
ドライバーポイント8点+4点(予選1位)
+
2点(決勝ベストラップ2位)
累計32点 ランキング 3位
このレースは、今シーズンやっと実力の出し切れたレースだったと思う。1戦目のマシントラブルによるピットスタート。2戦目もマシントラブルによる、フリー走行1日分キャンセル。前3戦目は作戦ミスによるピットスルーペナルティと、常にドライバーに対してのハンディを強いてきた。 今回はそれらが殆ど無く、やっとノーミスに“近い”レースができた。
しかしその結果が今回の4位と、表彰台はなかなか遠い。しかも今回“Z勢”、“MRS勢”もボクスターも足踏み状態。これらの“ライバル”(先方さんはどう思っているかは知らないですが・・)が本領を発揮すれば、更に熾烈なレースとなる事は必至である。
勿論ドライバーにも、ピットクルーにもマシンにも“100%”を求める事はできないが、常に目指す事は必要であり、それらの総合力を競うのが“モータースポーツ”する心である。
ところで予選日に誤作動した消火器だが、原因はともかくその顛末・・・。 1回目予選の直前、他のチームのスペアをお借りして来たのだが、予選終了直後、そのチームが「返してくれ」と言ってきた。決して嫌がらせでは無く、そこのチームでも同様の事が起ったらしい。となればお返しするのは当然。クルーは足と人脈を駆使して消火器探しに奔走した。いくらF1も開催されるサーキットとは言え、ここセパンはかなりの田舎。無論街に出たところで、マシンに使っている自動消火器等手に入る様な物では無い。
何とか数個の消火器をお借りする事はできたが、全てタイプが異なるので、取り付けには結構な改造を要してしまう。それらに取りかかろうという頃、ピットを訪れた現地の方がいた。
英語?で「お前らなにやってんだ?」勿論こんな言い方では無いが、意味はこんなところか?
「“かくかくしかじか”だ。(こんな言い回しは今頃しないか?)」と事情を説明。
「そんな物なら俺たちの“マシン”の物を使え。」勿論こんな言い方では無いが、意味はこんなところか?
この方はモータースポーツ好きのマレーシアのロイヤルファミリーの1人(王子様?)らしく、GT戦のサポートレースのオーガナイズをしているとの事。ムーンクラフトのスタッフはHonda関連のインテグラやシビックレースでここマレーシアにはよく着ており、彼らとは結構親しく、たまたまこの窮地に現れたという訳だ。
借り物の消火器は全く同じ物で装着はすんなり・・・。勿論レースでは“全く使用せず”無事お返しする事ができた。型が違うとは言え、お貸しいただけた他のチーム方々も含め、本当にありがとうございました。
このGTレースに限らず、サーキットでは結構“借り物競争”的な事も多く、チーム間のコミュニケーション、人脈もレースを行うに重要なポテンシャルのひとつかな?と感じます。
「Team BOMEX Dream28」 666号車NSX
2号車の高橋選手はレースウィーク以外サーキット走行を殆どしない事から、サーキット勘を戻す事と、より速く走るため、車載ビデオを活用している。
しかしそれより効果的と考えているのが、速いドライバーからのコース上でのアドバイスである。今回のセパンの様にレンタカーライド時間を設けている時など、はフルタイムで利用する。
そこで666号車の山下選手も加藤選手の助手席に同乗。数周に渡りライン取りのアドバイスを受けた。
これらをどう昇華するか?が重要だが・・・。
決勝レースでは大きなトラブルもミスも無く、2周遅れながら、周防 、山下コンビでは最高位15位で完走。しかしレース中のベストラップも、最終ラップで出ている事から、まだまだタイヤを生かしきれていないし、走り込みも不足。マシンのポテンシャルはまだまだ高いので、以降のレースもがんばってほしい。