Super GT 2006 -開幕前リポート-
GTレースレポート
2006年02月14日
昨年最終戦のレポートに書きました様に、今年はマシンが変わりました。その名も「Shiden」。… |
「shiden(紫電)」について…。
昨年最終戦のレポートに書きました様に、今年はマシンが変わりました。その名も「Shiden」。パソコンでかな変換すると、たいてい「市電」と出ますが、「紫電」です。紫電」の名前の由来、は第二次世界大戦の日本海軍の戦闘機であります。(本当はもっと別な意味かもしれませんが・・・)
かつてこの名前を冠したレーシングマシンが1977年に登場しました。特に空力、カウルデザインについてはあのムーンクラフト(以後「ムンクラ」と略)の由良拓也氏が担当し、その流麗なボディは高速サーキット、富士専用としてデザインされるという斬新なマシンであった。しかしこのマシン、決して好成績を上げる事はできず未完の大器としてお蔵入りとなってしまいました。
これらは由良拓也氏のホームページゆらたく屋 (の「店長の落書き帳」だったか?に)に詳しく掲載されていますので、是非ご一読ください。もっとも結果がすべてのレーシングカーにとって「未完の大器」なんてのは、きつい言い方をすればスクラップも同然でしょう。
勿論、斬新なアイデアだったが、レギュレーションで潰されたり、発想が進みすぎて、材質、加工法が追いついていなかったり、財政的な問題で消えてしまったりと言う例もあるでしょう。70年代の紫電がそのどれに当てはまるかはともかく、約30年の時を経て登場したこのNEW「紫電」、引き継いだのは名前と、プロデューサー、「由良拓也氏」「ムンクラ」だけ。当時の面影はありません。
と言っても後者のプロデューサーが同じと言うのは重要で、果してどんな「DNA」が、引き継がれているのか?冒頭の戦闘機「紫電」も名機ではなく、後のフルチェンジに近い、マイナーチェンジで「紫電改」となり名機と呼ばれる様になり、実はレーシングカーの「紫電」も同じ経緯で78年には「紫電改」となっています。しかしこれは名車とはならず、このシーズンで消えている。こんな「DNA」は引き継いでもらいたくないものである。
2月12・13日 シェイクダウン
と、まあこうした「名前」でマシンは走るわけではないですが、NEW「紫電」、スーパーGT開幕を1ヵ月後に控えた鈴鹿サーキットでシェイクダウンとなりました。気温は低いが好天に恵まれた鈴鹿サーキットに初めて姿を現した「紫電」。デザイン画では、「クジラ」とか「マグロ」とか揶揄されていたが、大柄なカーボンボディのそれは、いかにも空気抵抗が少ないどころか、空気を味方にした様なスタイルである。
昨年(2005年)夏頃、ムンクラの由良拓也氏より、アメリカのデイトナプロトマシンのシャシーを利用したロードカー発売のプランを聞きつけた。それをGTマシンにできないか?
ムンクラより「紫電」によるGT参戦が発表されたのが12月。ベルノ東海ドリーム28からの参戦は1月下旬に発表された。そして今日シェイクダウンをむかえる3日前、驚きの参戦体制が発表された。
2001年最終戦からの高橋選手の相方、渡辺選手に代わり、加藤寛規選手 が起用されたのである。勿論3日前に急に決まった訳ではないし、昨年のポッカ1000kmで組んだ事が契機となった事は言うまでも無い事だろう。
渡辺選手からは、ベテランらしい多くの事を学び、高橋選手も年齢を考慮すればタイム的には決して見劣りしない(と私は思っているが、あいにくモータースポーツには年齢ハンディは無い。)ほどに成長したが、更なる向上の為、“別の血”を入れるには、今回のマシン変更が良い転機という事である。渡辺選手、本当に長い間ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
3月3・4日 テストデイ
今日合同テストを向かえ、公式には「紫電」初登場である。シェイクダウン時の迫力あるカーボン地のままから、一転カラーリングを施されたマシン。プリヴェカラーもこれまでに比べ明るい紺、と言うよりブルー、それもメタリックである。しかも各ロゴが全てゴールドというこだわり様。
午前10時からの予選は300・500・混走の順。渡辺選手のアタックでSLの切符を狙う。気温21℃、路温は28℃とやや高め。
まずは1周してピットイン。昨日のセンサー交換はエンジンを降ろしているので、各配管等洩れチェックの為である。
ただ惜しいかな、ホイールが間に合わず、ホワイトである。(本当は「ブロンズ」)って言うか、この「転がし用」1セットしかないのである。色などより、こちらが危機的状況!
このマシン、ホイールはオフセットが特殊で他のどのホイールも全く流用できない。(多くのマシンがそうだが・・・)この合同テストは“タイヤテスト”であり、ホイール1セットでは話にならないが、無いものはしようが無い
1セットのタイヤを1セッション大事に走り、走り終わったら、即ハメ替えである。タイヤを“壊したり(ブレーキでタイヤをロックさせたり、スピンをするとタイヤ表面が局部的に磨耗し、平らになってしまう、「フラットスポット」等)”、雨でも降ってきたらお手上げである。
本来この様なNEWマシンのタイヤテストは、マシン側をある程度の標準状態として、数種のタイヤを換え、そのマシンに最適なタイヤを選び出し、そのタイヤが決まったら、今度はそのタイヤに、更に最適なサスセッティング(空力も・・)まで詰め、タイムとドライバーコメント、データーとを付き合わせ、またまたタイヤの改良、マシンセッティングとを、繰り返して行くのである。そのテストの出鼻をくじかれてしまったのである。
そんな中順調にかつ“慎重”に、走行は行われ、タイム的は2分7秒台後半と、テスト参加18台中13番目と、あまり“光る”物は無く、まだシェイクダウンの延長と言ったところ。
2日間のテストはバックモニターや、ドリンク用コネクターの変更等、ドライバーからの要望出る程度で、マシンには大きなトラブルも無く終了。勿論走行データーを元に、空力、サスペンション関係等、様々な解析が行われ、開幕戦となる、ここ鈴鹿に向けて地道な作業が行われる。
今年は、これまでシリーズ戦ではない、1戦だけのイベントレース鈴鹿1000kmがシリーズ戦に加わり全9戦となった。もっとも多くのチームが不参加だった鈴鹿1000kmも我々は毎度参戦していたので、大差は無いのだが・・・。だが例年ほど、“良い思い”ができるレースでは無くなった。とにかくその8月1000kmとのレースインターバルの兼ね合い(多分)から、開幕が鈴鹿となり、富士同様、年2戦開催される事となり、両サーキットのセッティングは、より重要となった。
ドリーム28第2チーム発足。
「VERNO TOKAI DREAM28」の第2チームとして、「Team BOMEX Dream28」を編成。2004年まで参戦した、NSXを今年から復活させます。ドライバーは、周防 彰悟選手と山下 潤一郎選手。共にGT2年目と経験はまだ浅いですが、充分なポテンシャルを持つNSXと、戸田チューンエンジン。そのNSXのメンテナンスをずっと行っていた八田チーフエンジニアも第2チーム加わります。前途は多難ですが応援宜しくお願いいたします。