Super GT 2006 開幕前リポート
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「shiden(紫電)」について…。

昨年最終戦のレポートに書きました様に、今年はマシンが変わりました。その名も「Shiden」。パソコンでかな変換すると、たいてい「市電」と出ますが、「紫電」です。紫電」の名前の由来、は第二次世界大戦の日本海軍の戦闘機であります。(本当はもっと別な意味かもしれませんが・・・)

photo川西 局地戦闘機「紫電」

photo市電

かつてこの名前を冠したレーシングマシンが1977年に登場しました。特に空力、カウルデザインについてはあのムーンクラフト(以後「ムンクラ」と略)の由良拓也氏が担当し、その流麗なボディは高速サーキット、富士専用としてデザインされるという斬新なマシンであった。しかしこのマシン、決して好成績を上げる事はできず未完の大器としてお蔵入りとなってしまいました。

これらは由良拓也氏のホームページゆらたく屋 (の「店長の落書き帳」だったか?に)に詳しく掲載されていますので、是非ご一読ください。もっとも結果がすべてのレーシングカーにとって「未完の大器」なんてのは、きつい言い方をすればスクラップも同然でしょう。

勿論、斬新なアイデアだったが、レギュレーションで潰されたり、発想が進みすぎて、材質、加工法が追いついていなかったり、財政的な問題で消えてしまったりと言う例もあるでしょう。70年代の紫電がそのどれに当てはまるかはともかく、約30年の時を経て登場したこのNEW「紫電」、引き継いだのは名前と、プロデューサー、「由良拓也氏」「ムンクラ」だけ。当時の面影はありません。

と言っても後者のプロデューサーが同じと言うのは重要で、果してどんな「DNA」が、引き継がれているのか?冒頭の戦闘機「紫電」も名機ではなく、後のフルチェンジに近い、マイナーチェンジで「紫電改」となり名機と呼ばれる様になり、実はレーシングカーの「紫電」も同じ経緯で78年には「紫電改」となっています。しかしこれは名車とはならず、このシーズンで消えている。こんな「DNA」は引き継いでもらいたくないものである。

2月12・13日 シェイクダウン

と、まあこうした「名前」でマシンは走るわけではないですが、NEW「紫電」、スーパーGT開幕を1ヵ月後に控えた鈴鹿サーキットでシェイクダウンとなりました。気温は低いが好天に恵まれた鈴鹿サーキットに初めて姿を現した「紫電」。デザイン画では、「クジラ」とか「マグロ」とか揶揄されていたが、大柄なカーボンボディのそれは、いかにも空気抵抗が少ないどころか、空気を味方にした様なスタイルである。

photo初めて姿を現した紫電。

photo新車に興味深々。手前:高橋選手。中:加藤寛規選手。後(着帽)由良拓也氏。

photo松下チーフメカニックより各部の操作説明を受ける高橋選手。

photo大柄な車体。300クラスは勿論、500クラスと比べても・・・。

photo処女走行は、当然チームオーナー高橋選手。

photoシェイクダウン1日目は普通のスポーツ走行。

photoCIVIC、マーチと一緒に走行。しかしまだ慣らしの為。メチャクチャ遅い。

photo夕方にはソコソコ回し、まずまずのタイムを出すが、まだ車両重量も合わせていないのであまり意味は無い。

昨年(2005年)夏頃、ムンクラの由良拓也氏より、アメリカのデイトナプロトマシンのシャシーを利用したロードカー発売のプランを聞きつけた。それをGTマシンにできないか?

昨年(2005年)夏頃、ムンクラの由良拓也氏より、アメリカのデイトナプロトマシンのシャシーを利用したロードカー発売のプランを聞きつけた。それをGTマシンにできないか?

 

photoこれらがデイトナプロトマシン。

photo詳しくは知らないが、このようなマシンのシャシー(パイプ)を流用して「紫電」は開発された。

photoエンジンは「レクサス(TOYOTA)」V8 1UZ-FE。

photoステアリングに配置されたメーター。

photoドライバー後横にある画面がバックモニター。これをルームミラーで見る。一部他のマシンでも同じ方法を使っているが・・。

photoちょうどサーキットに来ていた菅一乗選手お気に入り?

ムンクラより「紫電」によるGT参戦が発表されたのが12月。ベルノ東海ドリーム28からの参戦は1月下旬に発表された。そして今日シェイクダウンをむかえる3日前、驚きの参戦体制が発表された。

2001年最終戦からの高橋選手の相方、渡辺選手に代わり、加藤寛規選手 が起用されたのである。勿論3日前に急に決まった訳ではないし、昨年のポッカ1000kmで組んだ事が契機となった事は言うまでも無い事だろう。

渡辺選手からは、ベテランらしい多くの事を学び、高橋選手も年齢を考慮すればタイム的には決して見劣りしない(と私は思っているが、あいにくモータースポーツには年齢ハンディは無い。)ほどに成長したが、更なる向上の為、“別の血”を入れるには、今回のマシン変更が良い転機という事である。渡辺選手、本当に長い間ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

photoシェイクダウン2日目はベルノ東海の走行会と併催。

photoピットロードを通過する紫電。お客様もGTマシンを間近に見る事ができた。

photoストレートを駆け抜ける紫電。GTカーを初めて見る方にはサウンドも強烈。

photo走行会の時間帯に紫電も乱入。(勿論事前におことわり済み)

photo走行会ご参加車の真横を抜ける紫電。

photoこれほど近くを走るGTカーを見られる事は貴重?緊張?・・な体験。

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